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「アウシュビッツ」

ドイツ名 アウシュビッツ
ポーランド語 オシフィエンチム

クラクフから約54kmの場所にある
ナチスの「殺人工場」と呼ばれた強制収容所。

[ ARBEIT MACHT FREI ]
[働けば自由になれる]

入り口のゲートにはこう掲げられている。
Bの文字が上下逆さまになっているのは
このゲートを作った者の
ささやかな反抗ではないかと言われている。

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28の民族、150万人以上の命を
効率良く奪い続けた殺人工場。
一見すると穏やかで
古き良き風情すら感じさせる。
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当時、ナチスは強制収容所で任務に就く兵士達の
「良心」を去勢し、自分に与えられた任務を
良心の呵責無しに淡々とこなせるようなシステムを構築していた。
自分の行動、指示、そういうものが
1人〜数百万人の命を奪う事になるという想像ができないように。
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後にユダヤ人学者ハンナ•アーレントは
このナチスの大虐殺は
とんでもない悪人が起こした事ではなく
ごく普通の人間
自分達となんら変わりのない人々の手によって
起こされた惨劇だと言った。

ナチス=極悪人の集まり

としたかった同胞である多くのユダヤ人からは
かなり叩かれたらしい。
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けれども、ハンナの考えを読んでいて
胃の腑に落ちるように納得でき
それと同時に恐ろしくもなった。

悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が作る。

ハンナの言葉を借りるとこの一言で済んでしまうんだけれども
この世紀の大虐殺を行っていたナチスの将校達の
証言や言動を見ていくと
全員が極端な悪人ではなく、彼らは
家庭を持ち、家族を大切にし、真面目に職務に就いていた。
自分の「任務」や「責任」を果たし
「ナチス」という自分の所属する組織の中で評価をされ、
昇進し、家族を養えるように
真面目に職務に取り組んだ。
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「組織の為に、私は与えられた任務を忠実にこなしていただけ」

裁判でこう証言するナチス将校アイヒマンを見て
ハンナは
「組織の中での立身出世しか考えていない
凡庸な人間のモチベーションの上に
ホロコーストのような大罪が成り立っていた。」
と言い、これを

「悪の陳腐さ」

と表現した。

組織の中、人間としての思考を停止し
組織の目指すべき目標を達成する為に
自分に与えられた「任務」を
「責任」を持って遂行する。
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「仕事」「責任」「家族のため」
これらの言葉は、人間の良心に都合良く蓋を出来る
自分を咎める良心への
「免罪符」
として、うまく機能する。

ナチスに反抗する事は自分だけでなく
自分の周りの人間までを巻き込んで粛正される。
そんな当時の空気は想像もできないけれども
映画「シンドラーのリスト」のように
ナチスに従うフリをしながら
救いの手を差し伸べようとした人々もたくさん居たと思う。

歴史に「もし」は無いけれども
ナチス将校の中に「無責任」で「職務に怠慢」な
人間がたくさん居たなら、少し違っていたのかもしれない。

「人を縛り、自分の言葉を失わせ、時に悪を為させさえする
責任という厄介な言葉」

これは、前に読んだ本に出てきた一節なんだけれども
戦時だけじゃなく、毎日の中にもそういう瞬間ってのは
あるんだろうなぁと思う。

自分の何気ない選択や行動が
無自覚な悪意となって
どこかで誰かの人生を
奪う事になっているのかもしれない。

とか思うと、何も出来なくなりそうだけど。
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夥しく積み上げられた靴。
この一足一足の上に
ここに連れてこられた人々の人生が乗っていたと思うと
なんという言葉に置き換えたら良いのか解らない感情が
胸の奥に沸き上がってきた。
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誰かの生活が詰まっていたカバンやカゴ。
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極寒の季節、凍死する人々が続出したらしい。
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子供服。
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「死の壁」
と呼ばれる銃殺刑が行われていた場所。
人が撃ち殺された場所を写真に撮っている自分て
なんなんだろうと思う。
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ガス室。
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ガス室の中。
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アウシュビッツから2km離れた場所にある
第2アウシュビッツと呼ばれた

「ビルケナウ」

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「死の門」

と呼ばれるこのゲートの向こう
たくさんの人々が
この線路の上を走る列車で収容され
そのほとんどが二度とここから生きて出る事はできなかった。
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収容される人々を乗せていた貨物列車。
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トイレ。
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広大な敷地の中にぽつんぽつんと聳える煙突。
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かつて、ナチスに迫害されたユダヤ人は
今、、パレスチナに同じような事をしている。

こうやって、過去の負の遺産と言われるものを観て思うのは
世界中、善意にも悪意にも満ちていて
うまく回っている時はいいけれど
1つ何かのタガが外れた時。

自分達に向けられた
理不尽な悪意を払う力が無い
という事は、本当に悲惨な事だと痛感する。

その一方で、ガイドの中谷さんが言っていた

「ナチスのした事は悪だけれども
善悪の単純な問題ではなくて
ならば、どうして
このような組織が出てきて
それが民衆に支持されたのか。
その時の、ヨーロッパの状況
ドイツの置かれていた立場
そういう事まで考えないと
また、同じ悲劇は繰り返される。」

単純に力があればいいという訳じゃないけれども
いろいろな状況の中で
玉虫色に変わる「正義」の定義。

「強い者が正義」

国家間ではそうなると思う。
戦争においては

「勝った者が正義」

未来からやってきたネコ型ロボットが言っていた

「戦争なんてどっちも自分が正しいと思ってやってるよ」

「正しい」と主張している事。
それが人間としては正しい行いなのか
という視点が抜け落ちると
ハンナのいう「陳腐な悪」に
いつの間にか感染してしまうんじゃないか。

地球上でキバもツメも毛皮も翼も無い
個体をしては弱い人類。
ここまで繁栄してこれたのは
「知恵」を武器として
それを駆使してきたからだと思うんだけれども
その知恵がもう数百年、あるいは数千年前から
すでに頭打ちしていているような感じがする。
いくら便利になっても
便利になったようで複雑になっていて
産み出した道具も
使い方によっては
遥か昔に動物の骨を棍棒にして傷つけ合っていたものを
実に効率良く相手を傷つける道具に持ち替えただけで。

宇宙飛行士達は、宇宙から見て
絶対死の空間に浮かぶ青い星を見て
こんな生物にとって楽園のような場所で
互いに傷つけ合っている事が
いかに愚かな事か、を感じるという。

そんな神の視座で感じる感覚を
人類みんなが獲得した時に
人間は次の段階に進化できるのかもしれない。
物質的な進化ではなく
目に見えない精神の進化。

けども、そんな事ができたら
人類はもう人類ではなくなって
何か違う存在になっているのかもしれない。

とか、思考の果てに妄想が暴走。
そんな事を思った、アウシュビッツ。


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※アウシュビッツ

クラクフ駅から電車で約2時間
oswiecimで下車
1人 8.5zl
駅を降りてから少し歩く。

アウシュビッツ → クラクフ
バス 片道 13zl

※中谷さんガイド代
1人 40zl
その時の人数等で変わるので要確認。



by kurikurigururi | 2015-09-08 08:06 | ポーランド
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